人間の成長とは、「私」と「公」を統合すること
子貢問いて曰わく、賜や何如。
子曰わく、汝は器なり。
曰わく、何の器ぞや。
曰わく、瑚璉なり。
(『論語』公冶長篇より)
弟子の子貢がたずねた。
先生、私はどのような人物でしょうか。
先生(孔子)が答えた。
お前は、器だ。
(不満そうに)どのような器なのでしょうか。
先祖の祭に必要なお供えをするための(最高の)器だ。
「為政篇」で、「君子は器ならず」と聞いていたので、優れた才能を持っている子貢は不満だったのだろう。
東洋では、才能よりも徳性が勝っているタイプを君子型、反対に、人間性、徳性よりも能力が勝っているタイプを小人型という言い方をしている。
現場には、実務能力が必要だが、小人型の人を組織の長にすると、組織運営がおかしくなってしまう。
この問題を解決するには、「私」と「公」を統合する考え方を身につけることである。
誰でも自分の人生を無駄にはしたくない。
自分を生かして生きたいものである。
そのためには、何かの役に立つことが必要だ。
そこで、才を磨く。(何かの役に立つ器になる)
自分の能力、実力を磨くことも大変な修業だ。
その修業に耐えることは、自分づくりに役に立つ。
このモチベーションを維持するためには、目的を明確にしておくとよい。
自分が習得しようとしている能力は、誰の、どのような役に立てるのか。誰が、どのように喜んでくれると嬉しいのかを考えるのである。
私たちは、何かをもらったり、手に入れることも嬉しいが、人の役に立てた時、相手が喜ぶ姿を見たとき、より大きな喜びを感じるものである。
スタートは「私」であっても、そこに相手を意識することで、「公」になっていく。「公」とは、「私」を広げるという意味の字だ。
そして、少しずつ「公」の範囲、お役に立つ対象を広げていく。
「私」と「公」の統合こそが、人間が成長するという意味だと私は考えている。